古典がしみる

鍼灸古典

古典

まず最初にすみません。
私自身はさほど「鍼灸古典」に精通していません。
ガリガリの医古文勉強派鍼灸師でないことをここに告白しておきます<(_ _)>

ただし、鍼灸のような時間を積み重ねることを良しとするジャンルにいると「古典は絶対スゴイ」認識になります。
「私はこういうことを日々の臨床の中で発見した」→「でも、じつは古典の『○○○』にはそれと同じことがすでに書いてあった』→「だから私の発見は正統性があり、かつ昔の人たちの英知(古典)ってやっぱりすごい」みたいな流れが業界内にはあります。
だから鍼灸師たるもの古典を読もう、と。
(※正確に書けば、古典を無視もしくは否定する人たちもいます。)

鍼灸古典と言えば2000~1700年くらい前に書かれた『黄帝内経』や『難経』あたりから、それ以降、清代くらいまでの名著(日本の江戸時代くらいまでの名著も含む)はみな古典の範疇でしょう。

古典の良さ

…とここまで鍼灸の古典の話を書いてきましたが、じつは今回は鍼灸古典の話ではありません。

じつは最近、いろいろと行き詰まり感があります。
おそらく自分のライフサイクルや、めぐりあわせの中で、次のステージに進む時期が来ているのだと思います。
そのステップを上がる前にもがいているような時期でしょうか。
変容・受容がテーマになりそうな時期です。

ライト感覚な哲学本や経営本や死生観の本を読んでいても、いまいち心が入りません。
つまらないな、と。
思いきって源流である古典をじっくり読み込もうという心的時期が来ています。
まずはデール・カーネギーさんやナポレオン・ヒルさんの自己啓発系の古典を読んでいます。
(紀元前のギリシャ哲学や1000年前の宗教哲学ではなく、まぁ100年ほど前の「ちょっと昔の古典」ですね)

ハッキリ言って面白いです。
(ただ硬くて読みづらくて分厚いのも事実(-_-;))
こういう本を読むと分かるのは、物事の核心部分は網羅されているんですよね、すでに。

おそらく1000年単位の昔から、中国で、ローマで、ギリシャで、インドで、真髄を語った書物は出続けています。
だからいつの時代の本を読んでもいいのでしょうが、あまりに昔だとリアルな生活がイメージできず共感できなかったりします。

染み入るという共感の感情が芽生えるくらいの昔がベスト。
今の私だと、それは100年前後くらい前かな(1850年から1950年くらい?)

本を読むと内容は多岐にわたって書かれていますが、今のところ響くのは「立ち止まって考える」「最悪を受け入れる覚悟を持ったらあとは行動するのみ」「ピンチはチャンス」「大いなる存在に委ねる」など。

こう書くと当たり前の内容ですが、心にしみているかどうか、です。
感情が動くことが一番大事。
心がじわじわと揺れ動くのを感じています。
古典は素晴らしいなぁ・・・。

最後に鍼灸古典の話に戻ります。
鍼灸書は「実用書」でありますが、やはり古いし難解なので実用的に読もうとすると苦しいかもと感じます。
ロマン・共感・感情への刺激になる読み方したい。

そうなると、それは自分自身の心の時期でしょう。
古典はそこにある。
それを読むに相応しい自分であるかどうか、ということです。
ふむ。