鍼灸なんて簡単って思える?
そもそも鍼灸治療ってそんなに難しいものなの?どうなの?
・・・という疑問。
何を見据えているかによって答えも変わってきそうです。
ただ、「人は見たいものだけを見る」ものですから、治療は難しく考えれば考えた分だけ難しくなる気がします。
悩めば悩んだだけ悩み深いものになるし、簡単にすればしただけ簡単になる気もします。
そんなにイージーに考えて、それでいいのか??
…おそらくそれが正解でしょう。
施術者の心意気ひとつです。
一方、「そんなことない!鍼灸道ははるかな道を歩むが如く死ぬまで尽きることなき修行の道である。」という声も聞こえてきそう。
これはこれで正しそうな気もしますが、これからしてすでにその人の「見たいもの」なんですよね。
鍼灸という世界は、あなたにとってどういう景色に見えていますか?
あんまり難しく考えちゃイカンのかな、と私は常々思っております(自戒も込めつつ…)。
とくに、頭で考えて理屈上のルールを実際の身体に押し当ててはいけないと思います。
理屈上はキレイで整った解釈と治療方法を導き出せても、それが実際に当てはまるかと言えばそうでもない(もしくは、自分の実力では美しい理屈をそこまで体現できない)ことは少なからずあります。
小難しく考えるより、とにかく、まずは鍼をしてお灸をすえ続けることが重要ではないか、と。
頭で考える理論と、実践の場での感覚的なものも認めながら、ゆる~く進めてもいいと思います。
それが机上の勉強を怠る言い訳になってはいかんですが、実際上は有効だと考えます。
大丈夫、結構なんとでもなります。
意外と考えないで治療した方が効いたりしますし…。
以上、毎度「そもそも論」ですみません。
…が、書きたいので、さらに続けて書いちゃいます。
どういう治療方法(流派など)を選ぶか、病気を東洋的にみるか西洋的にみるか、病態をどう見立てるか…。
もっと具体的なところでは、このツボに鍼はどう打つか、灸は使うか、壮数はどうするか…。
鍼灸師ならだれでも葛藤することだと思います。
「鍼灸治療は難しいなぁ」「そうやすやすと上達しない遥かなる道のりだなぁ」と感じながら鍼灸をします。
悩みとして、こういう技術的に何が正しいのかの考えに終始しがちですが、それはあくまで鍼灸する側だけの話。
本当に大事なのはそこではないはずです。
「鍼灸をする相手としての患者さん」ではなく、「一人の人間」として相対しているのだという意識はなくさない方が良いと考えます。
どういう治療方法がベストかという視点より、その人に寄り添う要素の一部として鍼灸があるという視点です。
そう考えると、治療のテクニックなどは些細なことです。
「○○流治療」が正しいのか「○○式治療」の方が良いのかなどと、流派選びで逡巡するよりも、たとえば真摯に向き合って丁寧に局所治療(つらいところだけに治療する方法)でもすれば、それは「○○流治療」ができなくても十分効果が出る(患者さんの癒しになる)気がします。
初心者で鍼を刺すのが不安なら、局所に接触鍼で当ててじっとしているだけでも良いと思います。
治療テクニックの良し悪しにフォーカスするより、悩みやつらさを共有できるかどうかの方がよほど重要でしょう。
人生を生きるうえではどちらが上でどちらが下ということもないですし、鍼灸師自身も悩みながら生きています。
種類は違えど、悩みやつらさを抱えた者同士、人間対人間として向き合うのが一番大事なことだと思います。
それをふまえた上に「今より効果的な方法論ってないの?」という治療理論への問いがはじまります。
ようするに「自分の治療が上手いか下手かを、あんまり心配しないで、とにかく患者さんに向き合いましょうよ」と(これまた自戒を込めつつ…)言いたいです(笑)
ちなみに、“向き合い方”にテクニックやノウハウなんてないですよ。
自分の感性でいいのです。
「ぼく、向き合っています」と言えたらそれでOKです(^_^)