過敏性腸症候群への鍼灸症例
過敏性腸症候群への鍼灸治療
「またお腹が痛くなったらどうしよう…」「急にトイレに行きたくなったら…」
過敏性腸症候群(IBS)は、慢性的な腹痛や便通異常(下痢や便秘)、そしてそれらに対する強い不安感を伴う疾患です。
とくに、通勤中や会議中、旅行中など、すぐにトイレに行けない状況を想像するだけで不安が募り、日常生活に大きな支障をきたしてしまう方も少なくありません。
当院には、長年過敏性腸症候群に苦しみ、薬物療法だけでなく根本的な改善を求めて来院される方が多くいらっしゃいます。
今回は、過敏性腸症候群に対する鍼灸治療の症例を通して、その効果と可能性についてご紹介いたします。
患者さまについて
年齢・性別:
40代男性。
鍼灸院に来るまでの経緯:
約15年前から「お腹が弱い(下痢をしやすい)」と感じるようになり、数年に一度症状がひどくなる時期と落ち着く時期を繰り返していました。
5年前に病院で過敏性腸症候群(IBS)と診断され、薬物療法を受けていましたが、症状の波は収まらず、ここ2ヶ月で急激に悪化していました。
患者様は車の運転を仕事としており、「いつもトイレのことを気にしている状態」「常に便意がある状態」が大きな苦痛となっていました。
下痢だけでなく頻尿も併発しており、仕事中はもちろん、日常生活においても落ち着かない日々を送っていました。
病院で処方された薬と市販薬を併用していましたが、根本的な解決には至らず、「薬以外にも何かできることはないか」と、鍼灸を希望して当院にご来院されました。
初診時の患者様は、長年の症状による心身の疲弊が色濃く、表情にも不安の色が滲み出ていました。
問診では、20歳の時に十二指腸潰瘍を患った経験があること、冷え性であること、以前から湿疹が出やすい体質であることなども伺いました。
これらの情報は、東洋医学的な観点から患者様の状態を把握する上で重要な手がかりとなります。
東洋医学的考察
東洋医学では、過敏性腸症候群は単に腸だけの問題ではなく、心身全体のバランスの乱れによって引き起こされると考えます。
この患者様の場合、過去の十二指腸潰瘍の既往歴や長年の過敏性腸症候群の経過から、消化器系(特に小腸から大腸)の機能低下が根本にあると判断しました。
これは東洋医学でいう「脾虚(ひきょ)」の状態です。
脾は飲食物を消化吸収し、全身に栄養を運ぶ役割を担っていますが、その機能が低下すると、下痢や食欲不振、疲労感などの症状が現れます。
また、患者様は常に不安を感じている状態でしたが、これは東洋医学でいう「肝気うつ(かんきうつ)」の状態と考えられます。
肝は精神活動を司っており、ストレスや抑うつ状態によってその機能が滞ると、イライラや不安感、腹部の張りなどの症状が現れます。
さらに、脾虚によって体内に余分な水分(湿:しつ)が溜まりやすくなっている状態(内湿:ないしつ)も、症状を悪化させる要因の一つと考えられました。
これらの状態を総合的に判断し、この患者様の過敏性腸症候群は、脾虚を根本原因とし、肝気うつと内湿がそれを助長している状態であると結論付けました。
西洋医学的に言えば、自律神経系の乱れと表現できるでしょう。
治療方針
上記の東洋医学的考察に基づき、治療方針は以下の3点を柱としました。
脾の機能を高める(健脾:けんぴ):
消化吸収機能を改善し、下痢や疲労感を改善します。
肝の気の巡りを良くする(疏肝理気:そかんりき):
ストレスや不安感を和らげ、精神的な安定を促します。
体内の余分な水分を取り除く(利湿:りしつ):
下痢を改善し、身体の重だるさを解消します。
これらの目的を達成するために、鍼とお灸治療をすることとしました。
治療経過
1回目;
仰向けで、「太衝」「内関」「足三里」「上巨虚」に鍼を施しました。
また、「期門」「大巨」には鍼に加えてお灸を行い、足にはホットパックで温めることで、全身の血行促進とリラックス効果を高めました。
うつ伏せで、「心兪」「隔兪」「肝兪」「大腸兪」に鍼とお灸を行い、内臓機能を調整しました。
その後、週に1回のペースで4回の治療を行いました。
2回目以降は、「帯脈」「肓兪」「不容」などのツボを追加し、必要に応じて鍼にパルス通電を行うことで、より効果を高めるように工夫しました。
治療を重ねるにつれ、患者様の下痢や頻尿は徐々に改善していきました。
しかし、長年抱えてきた不安感や疲労感には、大きな変化は見られませんでした。
初診時に「3ヶ月ほどの継続治療」をご提案していましたが、患者様のご都合により、1ヶ月で一旦治療を中止することとなりました。
使用した主なツボとその代表的な効果>
太衝(たいしょう):
肝経の要穴。肝気の巡りを良くし、精神的な緊張を和らげる効果があります。
内関(ないかん):
心包経の要穴。胸部の不快感や吐き気、精神的な不安を和らげる効果があります。
足三里(あしさんり):
胃経の要穴。消化器系の機能を高め、胃もたれや下痢、便秘などに効果があります。
上巨虚(じょうこきょ):
大腸経の要穴。腸の機能を調整し、下痢や腹痛に効果があります。
期門(きもん):
肝経の募穴。肝の機能を調整し、腹部の張りや痛み、イライラなどに効果があります。
大巨(だいこ):
胃経の募穴。消化器系の機能を調整し、腹部の張りや便秘に効果があります。
心兪(しんゆ):
心の働きを調整し、精神的な安定をもたらします。
隔兪(かくゆ):
横隔膜の緊張を緩和し、呼吸を楽にします。
肝兪(かんゆ):
肝の働きを調整し、気の巡りを改善します。
大腸兪(だいちょうゆ):
大腸の働きを調整し、便通を整えます。
帯脈(たいみゃく):
下腹部の血行を促進し、婦人科疾患や便秘に効果があります。
肓兪(こうゆ):
大腸の働きを調整し、便秘や下痢に効果があります。
不容(ふよう):
胃の働きを調整し、胃もたれや食欲不振に効果があります。
手三里(てさんり):
大腸経の要穴。腸の機能を調整し、便秘や下痢に効果があります。
まとめ
今回の症例では、患者様の下痢や頻尿といった身体的な症状は改善が見られたものの、長年の不安感という精神的な側面に対して十分な効果を発揮する前に治療が終了してしまいました。
これは、私自身の治療戦略において、精神的な側面に焦点を当てるタイミングが遅れてしまったこと、脾虚の改善と内湿対策をより積極的に行うべきだったという反省点があります。
しかし、下痢自体には改善が見られたことから、鍼灸治療が過敏性腸症候群に対して有効な手段であることは改めて確信いたしました。
当院では、単に症状を抑えるだけでなく、患者様一人ひとりの体質や状態に合わせたオーダーメイドの治療を提供することで、心身全体のバランスを整え、根本的な改善を目指しています。
過敏性腸症候群でお悩みの方は、ぜひ一度当院にご相談ください。
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