治療の土台(ベース)

治療の土台(ベース)について聞かれた時、私は「『中医学』をベースにしています…」と答えています。
学生時代にかじった中で、その時の自分に一番しっくりくるような気がしたからです。
…とは言え、あくまで「考え方に中医学を据えた自分なりの治療」です。

中医学的な解釈で(自分の学びが)足りない部分は現代医学的な発想で代替させたり、他の鍼灸流派的発想で代替したり、心理学の考え方を取り入れてみたりしながら、とにかく日々なんとか治療しています。
ですので「中医学でやっています」とは恐れ多くも言えません。

ちなみに「中医学でやっている」とは、整体観・病理観・治療などが中医学思考で一貫していることだと思っています。

ただいつも思うのは、「中医学で鍼灸しているってどういうことだろう?」ということ。
中医学には、手順Aから始まりB、C、Dを通過してEまで来たら終了、というような共通した手順があるのかと言えばなさそうです。
ある中医学系鍼灸師は細い鍼を使って優しい治療をしていますし、別の人は太い中国鍼でグイグイと治療をしています。
全く違った治療なのに、二人とも「中医学をしています」と言います。

共通点は「脾虚というは脾胃の働きや気の量が虚していることだ」そして「脾虚には足三里穴を補法で使う」というような世界観の共有があることです。
世界観の共有があるけれど、その活用方法は千差万別な様相です。

中医学的な鍼灸は、治療に自由度が高くて良い…とあくまで私個人は思っています。

 

それが別の「○○流」などでは、治療システムが「手順A→E」と決まっていて、逆に言うとそれをしないと「○○流ではない」というようなものもあります。
また、「○○流」を名乗るには「○○会」の認定を受ける必要があるなどの決まりもあるかもしれません。
治療システムと流派の組織が一体化しているようなもので、この方がパッケージ化されて分かりやすいかもしれませんので、そういうスタイルに共感を感じる人はそういう組織に属せば良いと思います。

私自身は、そういう強制されたひとつの主義にはまるのが苦手なので、そういうところに入ったことがありません…。

 

私の実際の治療は『該当する証から導き出される基本穴+局所治療』のような治療スタイルです
そしてそれに『直感』(説明できない要素)のようなものもブレンドします

基本穴とは「ある証だと見立てたらその証に良いだろう配穴(主に中医学を使用)を、あくまでオーソドックスに、ひねらず素直に使う」ことを言います。
“一定の配穴”のパターンは多少のアレンジがありますが、自分の中ではおおむねパターン化しています。
あまりレアなツボを使わず、有名どころの汎用性の高いツボを多く使います。

すごく簡単に言えば、「脾虚」だと見立てたら「足三里・脾兪・中脘」で決まり、みたいな感じです。

この治療スタイルが最良だなどとは全く考えていません。
常にバージョンアップはしていかなければいけませんし、その変化がマイナーチェンジではなくフルモデルチェンジする時もあるかもしれません。
今のカタチは、 自分レベルの感覚・感性の鍼灸師でも効果的で、融通が利き、使い勝手が良いスタイルだと考えている『私の治療2016年春バージョン』です

 

自分の持てざるセンスや知識を「ある」として、理想像だけを語っても日々の臨床に立ち向かえません
それは諦めや妥協とも言い換えられるかもしれませんが、持てる資源でやり繰りしていくのは基本中の基本だと思います。
準備万端、免許皆伝になってから勝負するわけではなく、日々を生き抜くために我流でも何でも持てる資源(リソース)で勝負しないとやられちゃうのです。

そこから生まれた私なりの「スタイル」です。