鍼灸の穴性論と弁証論治の歴史
穴性論の歴史
受講している鍼灸の勉強会で『穴性にまつわる歴史を学ぶ』というテーマを学びました。
講師は東洋学術出版社の井ノ上社長。
「穴性論」誕生の時代背景や密接不可分な「弁証論治」の時代変遷などをお教えいただきました。
たとえば、
●1930年代以前には穴性論はなかった。
●弁証論治の整備の中で穴性論も浸透していった。
●穴性論も弁証論治もマス教育の必要性から生まれた。
●中医学のトレンドも社会や時代とともに変遷していく。
…などなど。
非常に興味深い内容でした。
穴性論誕生からの歴史
意訳ですがこんな感じ。
それまでツボにあったのは主治症のみ。
中華民国~人民共和国初期時代は「西洋医学>東洋医学」の時代。
細々としていた鍼灸を盛り上げる方法として「教育」に注目。
「教育」するうえで必要なのが「鍼灸学の体系」(システム・授業内容)。
中医薬学(漢方薬の世界)の体系を鍼灸学に導入する。
南京派の先生たちが中心となり理論構築するにあたり、整体観にシステム化や再現性を求める為にツボの効能を意識する。
それが「穴性」であり「弁証論治」。
その後の文化大革命時代~それ以後と、中医学(針灸学)の盛り返しの中でトレンドも変遷していく。
中医内科学と酷似した針灸学であったものが、弁病・弁経の比重を増しつつ、今もなお変遷を続けている…。
…です。
歴史マニアなどという人種もいるくらい歴史は人を惹きつけます。
それは、自分の「今いる世界」がどうしてこのような景色なのかを教えてくれるからだと思います。
現在という平面に過去という下方より垂直方向の切り口を得る心地良さがあるからでしょうね。
鍼灸には膨大な歴史があるはずですから、こういった学びの機会はもっとあると嬉しいですね。
穴性は道具に過ぎない
今回の話を聞いて「穴性論は文字に似ている」と感じました。
文字ってすごい発明です。
現代日本人の私には、無文字社会など想像も出来ません。
文字があるから伝えやすいし、じっくり検討できるし、一度に広めることもできます。
でも、実際に想いや思考を伝える大きなパーセンテージを持つのは、ボディランゲージなどのノンバーバルな要素です。
文字はあくまで道具であり、思想そのものではありません。
文字至上主義に陥るとそれを見失いやすい。
極端に言えば、文字などなくても豊かな文化や世界観を持つことは可能です。
あくまで便利な道具。
穴性論や弁証論治の成立を聞いたとき、そんな感想を持ちました。
道具を持てば即、優秀な使い手になるわけでもありません。
どんなハイスペックな道具もそれを使う人間を高めてくれるわけではないのです。
穴性は有るのか無いのか論争なども(それはそれで面白いのですが、)あくまで道具のスペックの差異でしかないのかなと感じます。
※一介の鍼灸師目線では。
どんな道具を使うにしろ使わないにしろ、最終的には日々の治療の中で自分個人が右往左往しながら学んでいく…というのがやはり基本であり最終回答なのだろうと思いました。
トレンドに必要以上に揺れないで施術に取り組めるような気がします(笑)
学びは続く。